あなたはかけがえのない人だから

   あなたはかけがえのない人だから

 お釈迦さまは、母親の右脇から生まれると、すぐに七歩歩いて、天と地を指さし、「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられています。
 『無量寿経』には「吾当に世において無上尊となるべし」と書かれてあります。
 この「無上尊」は、仏のことです。弥陀の三十七号の一でもあります。
 『無量寿経』はお釈迦さまが亡くなって後にできたお経ですから、お釈迦さまが自ら覚りを開くであろうと言ったとなっていますが、現実には生まれてすぐに歩くことはないでしょうし、「吾当に世において無上尊となるべし」と言うことはないと思われます。
 これは、お釈迦さまがやがて覚りを開くということを表していると考えたほうがいいでしょう。
 一般にはお釈迦さまが言ったのは「無上尊」よりも、「天上天下唯我独尊」のほうが有名です。
 これについて『岩波仏教辞典』第二版には、
 「世間において私が最も勝れたものであるの意。生れたばかりの釈尊が七歩歩いて右手をあげ、この句を述べたと伝えられている。元来は過去七仏の第一である毘婆尸仏(びばしぶつ)が誕生した時、同趣旨の偈(げ)を説いたとされていたが、やがて釈尊が誕生した時、他の人々がそう称讃したという説が生じ、さらには釈尊自身が自ら唱えたと信じられるに至った。」
とあります。
 また「唯我独尊は、のちに、ひとりよがりのうぬぼれという悪い意味に使われるようにもなった」とあり、『広辞苑』第六版では「世の中で自分一人だけがすぐれているとすること。ひとりよがり」と説明されています。
 もちろんここでいう「唯我独尊」は「ひとりよがり」という意味ではありません。「ただ我独りにして尊し」と読みます。すると、「ひとりよがり」とは違った意味に読むことができます。つまり我は独りであって、その独りが尊いという意味になります。
 昔私が高校二年のときクラス替えがありました。あるとき、学校で同じクラスの子とすれ違って、しばらく行くと、その子と同じ顔をした子と出会ったことがありました。また同じクラスの別の子がよく似た顔の子と二人でいるところを見ることがありました。
 それはどういうことかというと、同じ学年に二組の双子がいて、その二組の双子の一人が同じクラスになっていたのです。それを知らずにいた私は、最初はなにがなんだかわかりませんでした。
 テレビに出ている双子は、区別は付きませんが、しばらくすると、別々に出会っても、双子のどちらかだかがわかるようになりました。
 一卵性の双子の場合、非常によく似ているので、区別はつきにくいのですが、本人たちはそれぞれ違う点を指摘して、同じだとは言わないようです。
 人間に限らず、あらゆるものでまったく同じものは、この世に存在しないのです。非常によく似たもの、すべての点においてそっくりなものはありますが、別々に存在している以上、同じものとはいえません。
 すこし前にはやった歌に、ナンバー・ワンにならなくてもいい、あなたはオンリー・ワンなのだからというのがあったと思いますが、この世に一つとして同じものがないということは、すべてのものがオンリー・ワンだということです。
 また二、三年前のことですが、「一位じゃないとだめなのですか。二位ではだめなのですか」とテレビで言っていた人がいましたが、能力や技能を競う場合、一位にならなければ意味がないのです。昨年オリンピックがありましたが、同じメダルを取るにしても、やはり金のほうが価値が高いのでしょう。世間の評価としては一位でないと意味がないのです。
 テレビのドラマで次のようなことを言っていました。「自分はこの職場になくてはならないと思っていたが、辞めるといったらだれも辞めるなといってくれなかった」。
 これは、職場に限らず役目としての人の替わりはいくらでもあるということです。父の替わり、母の替わり、子どもの替わり、夫の替わり、妻の替わり等々です。
 しかし私にとって私の替わりはありません。だれかが私にとって替わるということは、私がいなくなってしまうということでしょう。
 京都市バスの後ろに「同じです あなたとわたしの 大切さ」と書いてあります。
 私にとって私がかけがえのない人であるのと同じく、あなたにとってあなたはかけがえのない人なのです。