努力は積み重ねるから崩れる。積み重ねないと決して崩れない。
努力は報われるとは限らない。
伊奈かっぺい


   努力は報われるとは限らない

 最近「常識」ということばが気になっています。よく「常識」ということばを遣うが、どういう意味で遣っているのでしょうか。
 「常識」を『広辞苑』で調べてみると、

じょう‐しき【常識】ジヤウ‥
(common sense)普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに、理解力・判断力・思慮分別などを含む。

とあります。
 ここでは「理解力・判断力・思慮分別など」は考えに入れずに、単純に知識だけを考えてみます。
 「そんなの常識だよ」と言うときには、一般的知識以外の専門的知識を指す場合が多いのではないでしょうか。
 たとえば私たち真宗門徒にとっての常識が他宗の人にとっては常識でないことがあります。
 また「男にとって」「女にとって」「若者にとって」「高齢者にとって」というように、「とって」の付いた常識があり、その場その場で遣い分けているように思えます。
 極端に言えば、ある人がたまたま知っていることを「常識」と言っている場合があったりします。
 それらの「常識」は、『広辞苑』で説明されているものとは違うように思えるのです。
 そして「一般人が持ち、また、持っているべき」ということからすると、すくなくとも過半数の人が持っていなければならないのではないでしょうか。
 一般に「常識」といわれる知識を私はどれほど持っているのだろうかと思うことがあります。
 前ページの「努力は云々」の文章は、

   努力は積み重ねるから崩れる。積  み重ねないと決して崩れない。
   人間は立って歩くから転ぶ。はじ  めから横になって転んだ人はいない。
   無駄な汗はやっぱり無駄で努力は  報われるとは限らない。

を一部省略したものです。
 この文章を見て、努力はむだだと言っていると理解する人がいます。そういう人は、なんと非常識なことを言うのだろうと思うのではないでしょうか。
 はたしてそうでしょうか。「努力は積み重ねるから崩れる。積み重ねないと決して崩れない」の「努力」を「積み木」と置き替えてみると、受け取り方が違ってくるのではないでしょうか。たしかに積み木は積み重ねるから崩れる。しかし積み重ねない積み木は崩れることはない。
 「努力は報われるとは限らない」というのは、「努力は報われることはない」という意味ではなく、「努力は報われることもあるが、努力したからといって、かならずしも報われるものではない」と理解すべきだと思います。
 そう理解すると、この文章は非常識なものではなく、ごくあたりまえのこと、常識的なことを言っていると言えるのではないでしょうか。文章としてはすこしことば足らずな表現と言えます。
 もっとも伊奈かっぺい氏はそれがわかっていて、このように言っているのですが。
 最近自動車を運転するときに、桂枝雀の落語を聞いています。笑いは緊張の緩和だと枝雀は言っています。私は常識から非常識へという笑いもあるのではないかと思います。
 たとえば「いつもおせわになっています」といわれたら、その返事は「こちらこそおせわになっています」ということばを期待します。しかし「いつもおせわしています」と返事が返ってきたら、笑って済ませる場合と腹を立てる場合とがあります。だから相手を見て言わなければならなりませんが。
 私たち真宗門徒は、「門徒もの知らず」と世間から言われています。そういう意味では真宗門徒は非常識だということでしょう。
 「もの知らず」とは、「もの忌み知らず」のことだと聞かされてきました。「もの忌み」とは、『広辞苑』では、

もの‐いみ【物忌】
②不吉として、ある物事を忌むこと。縁起をかつぐこと。

とあります。
 ここでいう縁起とは、いわゆる迷信のことです。親鸞聖人は、蓮如上人の『御文』(一帖目第九通)にも「吉良日をみることをえざれ」とあるように日の善し悪しをえらぶような、科学的根拠のないことは否定してこられました。現代でいえば、大安とか友引とか仏滅のように、なにか行事をするときには暦を見て、日を選ぶ、そのようなことはしてはいけないというのです。