如是我聞
(エーヴァン・マヤー・シュルタム)
 かくのごとき、我聞きたまえき。

エーヴァン→かくのごとき→如是→是のごとし→まちがいなく→×エーヴァン

極端にいえば、あらゆる翻訳は誤訳なのだから 柴田元幸


   如是我聞

電話連絡
 三十年ぐらい前、区役所に勤務していたときの話です。ときどき市役所から各区役所に電話による事務連絡が来ました。まず市役所からある区役所に連絡が入り、順番に区役所を回って、事務連絡の内容が途中で変わっていないかチェックできるように、最後にまた市役所へ連絡をするというものです。
 あるとき事務連絡の電話を受けました。内容を聞き、それを書きとめて、復唱します。そして次の区役所へ電話をするのですが、事務連絡の内容を伝える人が話しことばで言ってきました。それでは文章にならないので、前のところから聞いたとおりに言うように言いました。
 電話での連絡は、聞き違いが起こります。それをなくすためには、聞いたとおりに記録し、次に伝えていくことが必要になります。

伝言ゲーム
 伝言ゲームという遊びがあります。何組かに分かれて、同じ文章を次々に伝えていくゲームです。初めの文章にどれだけ近いかを競うのですが、伝える人数が多くなるほど文章が変化していきます。

経の初めに「如是我聞」
 お経の初めには「如是我聞」ということばがあります。お経のすべてにあるかどうかはわかりません。たとえば『般若心経』には「如是我聞」は見当たりません。
 その「如是我聞」は、サンスクリットでは「エーヴァン・マヤー・シュルタム」です。「エーヴァン」を「如是」と訳し、「マヤー・シュルタム」を「我聞」と訳したのです。意味は、「次のように私によって聞かれた」です。「次のように私は聞いた」と訳してもまちがいではないでしょう。

「是」について
 「是」という漢字には幾つかの意味があります。「ただしい」「よい」の意味に用いられます。また「これ」「この」の意味にも用いられます。
 『日本国語大辞典』には、「道理にかなったこと。正しいこと。一般がよいと認めること」、「満足な状態にあること。都合よく事が運ぶこと」と出ています。

「如是」について
 「如是」は、同じく「経の最初に書かれていることば。また、印可のことば。かくのごとく、このように、の意」、「示されたことが仏意にかなっているとして認められること。またその印可のことば」、「信成就の意で、六事成就の一つ。自己の聞く法に信順すること」、「真如実相の当体」とあります。
 「是」という文字は、「これ」「この」という意味で受け止められずに「ただしい」「よい」という意味で受け止められているようです。
 そこで元々のことば、「エーヴァン」を調べてみると、「このように」という意味で、「ただしい」「よい」という意味はないようです。

翻訳は伝言ゲームか
 あるテレビ・ドラマを見ていたら、「アイラヴユー」を「月がとてもきれいですね」と訳したという話が出ていました。どの本の中にあるのかは知りませんが、そういうこともあるのだと思いました。
 たとえば翻訳された本に「月がとてもきれいですね」と出ていたとしても、元は「アイラヴユー」だとはほとんどの人はわからないでしょう。その結果、月の話をしていると理解することになるのではないでしょう。
 小説の場合は、読者がどう理解しようと大して問題にならないでしょうが、お経の場合はすこしばかり事情が違ってきます。
 翻訳されたお経を見て、「如是我聞」の「如是」を「まちがいなく」とか「たしかに仏説をいただきました」とか「是なるごとしだからまちがっていないという意味」と解釈すると、元のサンスクリットの「エーヴァン」とは違った意味になります。

意巧にきく物なり
 『蓮如上人御一代記聞書』の第百二十に「四五人の衆、寄り合い談合せよ。必ず、五人は五人ながら、意巧にきく物なり。能く能く談合すべき」とあります。
 同じ話を聞いても、それぞれが自分に合わせて聞いてしまうから、「このように私は聞きました」とそれぞれの領解を述べ合うようにしなさいという意味です。
 「如是我聞」は、「私は確かに仏説をいただきました」というのではなく、「このように私は聞きました」とすべきではないかと思います。