私の年賀状1997年

明日できることは今日しない

 あすできることは、あすすればいい。あすできないことは、きょうするしかない。

 昨年11月に稔子の父、1月に伯父、11月に伯母、12月に伯父が往生の素懐を遂げました。
 「人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり」(白骨の御文)

 本年もよろしくお願いいたします。

  1997年1月1日

 1995年から1997年にかけて、続けて5人、母親、義父、2人の伯父、伯母が亡くなりました。いずれいつかはと思っていましたが、立て続けという感じでした。そのうち、三つの葬式に深くかかわりました。一つは喪主として、二つは式事としてです。

 京都と滋賀でしたが、それぞれ葬式の仕方の違いを感じました。

 この年賀状のことばは、伊奈かっぺいさんが言っておられることばからいただきました。

 普通なら、きょうできることをあすに延ばすなというところですが、私たちはあすがあるからと、一日延ばしにしているのではないでしょうか。

 このことばは、きょうしなければならないことは、きょうしなさいということ、つまり「人間のはかなき事は、老少不定」だから、いつ死ぬかもしれない。せっかく人間に生まれたのだから、いま生きているうちに、「後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべき」ですよということを教えてくれているように思います。

 世間では、正直の頭に神宿る、だから正直であれとか、努力すればかならず報われると教えられます。

 しかし、正直の頭にかならず神宿るとか、努力はかならず報われるとかいうことは、すべての場合にあてはまっていないことは、周りをみわたせばすぐわかることです。

 たぶんそれは、そうあって欲しいというわれわれの願望なのでしょう。現実は願望とは無関係なのです。

 このように言うと、正直者であってはいけないとか、努力するなと言っているように受け取られるかたがままありますが、そうではありません。正直者はばかをみても、どこまでも正直者であり、無理に正直者でなくなることはありません。また努力を信じているかたは、報われることを信じて努力を続けるのでしょう。報われることが少ないとわかっていても、努力をせずにおられない人は数多くいらっしゃいます。

私の年賀状1998年

バラバラでいっしょ

差異をみとめる世界の発見

 東本願寺では今年4月に蓮如上人500回御遠忌が勤まります。「バラバラでいっしょ」は御遠忌テーマです。

 「差異をみとめる世界の発見」とは、サラダボウル論(人権のキーワード)と同じことを意味します。自分の価値観や考え方と違うものを排除するのではなく、異なった価値観や考え方を受け入れていく世界を見いだそうということです。

 テーマにまでなるのは、そのことがいかに困難かという証明だと思います。

 本年もよろしくお願いいたします。

  1998年1月1日

私の年賀状1999年

正直者はおおむねばかをみます。努力はほとんど報われることはありません。     (『他力』五木寛之)

  1999年1月1日